プログラマ35歳定年仮説について考えてみた

プログラマ35際定年仮説には、2つのとらえ方があって、1つは、表面的な仕事の内容と人月計算の利益が見合わなくなるため、プログラマの定年になるという話、もう1つは、技術に追いつけなくなって、やっぱり定年になるという話。このエントリでは後者の技術的に追いつけなくなる場合について述べる。

かなり乱暴なたとえだし、ソフトウェア開発は製造ではなく設計や研究開発に近い性質を持っているというのを承知したうえで言うが、ソフトウェア開発業におけるプログラマは、半導体製造における製造装置のようなものではないか。
というのは、定期的に投資して更新していかないと市場の要求を満たさないレベルの設備しかもてず、仕事が先細りになっていく部分が似ているのではないかと考えたからだ。

プログラマに対しての投資というのは、新規の要素技術やフレームワークなどを実際に使わせてみて、その技術についてのノウハウを少しでもいいから蓄積することに当たるのではないか?
そうすることで新規技術を使った案件を獲得しやすくなったり、開発が効率化できたりする。

これまでの日本のIT企業でのプログラマの扱いを振り返ってみると、プログラマに対しては実務が最優先されるあまり、こういった新規技術に触れる機会を個人の努力に頼ってきたように思う。いや、それどころか、残業につぐ残業で個人の自由時間さえも奪ってきた。

その結果としてプログラマが35歳あたりで使い物にならなくなってしまったのではないか?まあ、人月計算によるところがだいぶ大きいとは思うが。

googleのような20%ルールとはいわないまでも、プロジェクトの合間にこれから伸びそうな分野の技術について学べる時間を用意するのが企業側の努めではないだろうか?


余談だが、社内で専門の教育部署をもっているほど大きな会社であっても、プロジェクトの方が優先されて、結局教育というか人への投資があとまわしになってた事を思い出した。
講座は予約制で、プロジェクトのトラブルなどで講座を予約した当人の都合が付かないと、同じ課内の別の人間が受講しないか聞いて回ってた。ほんとおかしな話。

また、講座を「お勉強」といってバカにしていたというのも思い出した。たしかに講座の内容は物足りなかったけど、社員への教育に力を入れているように見えて、形式だけだったという会社もあるんだね。